お見舞いに行った次の日の朝に、祖母が次のステージへと旅立って行かれました。
何だか未だに実感がわいてないなぁ。
でも前の日とは言え、最後に会えて良かったと思う。
病室にかけつけたら、もう息をしていないおばあちゃんがいた。
触るとまだ温かくて寝ているみたい。
でも昨日まで沢山つけられていた管は抜かれて、やすらかな顔をしたおばあちゃん。
昨日は凄く苦しそうで見ているのも辛かったのが嘘みたい。
最後を看取ったおばちゃんが、ふぅーっと息を吐き切ったかと思ったらそのまま止まったと言っていた。
お医者さんも苦しまずに行かれたと言われてたので、それが何よりも救い。
何かしら病気を隣合わせに過ごしたばあちゃんだったので、やっとやっと楽になれたのだと、そう思う。
93歳でした。
大往生でしょう!!
おしゃれで頑固でカラオケ大好きのよく笑うおばあちゃんでした。
93歳でも風呂上がりには顔に化粧水や乳液をきっちりつける人でした。
2か月に1回は、美容院をしている叔母の所へ行き、髪を切り眉毛を整えてもらっていました。
油断すると赤い口紅をつけてデイサービスに行こうとする人でした(笑)
年寄り特有のわがままなところがあったけど、6人も子供を産み育てたタフなおばあちゃんでしたよ。
戦後の話。
満州から帰る船の中、赤ちゃんだったうちのお母さんがやせ細って危ない状態で、周りの人に置いて帰れと言われたそうですが、おばあちゃんは「でけん!」(九州弁でだめって意味)とお母さんを離さなかったと聞きました。
その話を聞くたびに、「ばあちゃんがおらんかったら、うちもおらんかった」とばあちゃんに感謝してました。
ほんまにマイペースで世話の焼けるおばあちゃんだったけど、いなくなるのはさみしいです。
ていうか、まだ本当に実感がわいてない不思議な感じです。
このばあちゃんは死なない。っていう変な確信があっただけに。
ばあちゃん家に行ったら、まだいるような気がしてならないよ。
でも、もういないんだなぁ。
血の通っていた肉体が冷たくなっていき、骨になる。
肉体は借り物で、その中にある精神は消えてなくならない揺るぎないもの。
肉体とは別れたけど、その人という存在は消えてはなくならない。
話したり触れたりできないのは辛いけど。
一緒に過ごした思い出をじんわり思い出して、話したり触れるように思おう。
でもやっぱり悲しいわ。
ふとした瞬間泣けてきます。
「そがんか言うても、しょんなかたい。」
ってばあちゃんに言われそうだけど。