今日は広島市の映像文化ライブラリーで映画をみてきました。
前に”これみたい!”でも紹介した「プリンセス マヤ」
もうねぇ、私ウルウル涙がこぼれて仕方なかったわ。
太めのマヤは女優にあこがれるふつうの女の子。
思いが強くなると突っ走るマヤは、結婚式で撮影をしていたエリカと出会います。
エリカは映像制作の道に進みたいのですが、なかなかうまくいかず。マヤは女優になりたいのだが、こちらもうまくいかず。
そこでエリカは、魅力的なマヤのドキュメント作品を作りたいとマヤの生活に密着。
マヤの純粋な女優への夢と行動力を持って突き進むさまを映像におさめるも、その放送権を買ったテレビ局は、マヤの容姿を笑い、コケにして利用しようとするのです。
コンプレックスを抱きながらも、自分のやりたいことを信じて貫こうとするマヤはとても魅力的。
このマヤの気持ちが痛いほどよくわかるのよ私は。
まったく同じとも言い難いが、太ってることをコンプレックスに思うんだけど、周りはその姿を面白いと思っていろいろいじってくる。
私の場合はそれが嫌でも、いちいち煙たがることもできなくて、噛み砕いて可愛がってもらっているんだと解釈して飲み込むよ。
そうしないといちいち受け止めてたら、追いつかないから。精神的にね。
自分の中で納得していても、そうしないといけない理由がないにしてもコミュニケーションの手段としてそれが利用できてスムーズに行くならそうしなきゃって思うからそうするけども。
自分をだましだまし、受け入れるしかない。
笑われてるのが嫌で、もう自分から笑われに行くようにもなったし。
それがいいと思ってるかと言えばそうでもない。
恐らくマヤも夢見ている間は周りがキラキラしてただろうけど、自分が笑われる嫌われる側にいるって分かった途端灰色になっただろう。
そうやってコンプレックスは周りの目が作ってしまうものじゃないかと私は思うのです。
人のせいとかじゃなくて、どんな強靭はハートを持っていたとしても自分の容姿で笑われて、いい思いする人なんかそうそういないよ。
「でかい」とか「体重何キロ?」とか「これだけじゃ足りないでしょ?」とか「(すれ違いさまに)通れんわあ」とか。
それも愛情表現だって言われるけど、そうかも知れないしそれはそれで有難い事なんだけど;;
大人になって「そうですねー」って白目で聞き流す方法を得るまでは、辛いのなんのって。
って、何か支離滅裂で何が言いたいんか分からんなってきた(笑)
とにかく、それでも「私は私よ」って思える状況って、「あなたはあなたよ」ってすべてを認めて受け入れてくれる人がいて思える事じゃなかろうか。
家族だったり友達だったり彼氏だったり。
太ってようが不細工だろうが、周りが何を言おうと大丈夫って信じてくれる人?
「太ってなんかないよー」って心にも思ってない慰めも言わない、もう”完全にフラット”な状態で付き合ってくれる人がとても大切になってくるんよね。
ほんとに何を言ってるのか分からんくなったわ><
自分めんどくさい人みたいじゃないか!
まあ、そうは言ってもそういう部分も利用して私は生きていくのですよ。これからも^-^
プリンセスマヤは本当にいい映画だったよ。
マヤがかわいくてキラキラしてて、キュンってなった。
私ひとり、おいおい泣いてたわ。
泣き過ぎて頭痛くなったし(笑)
本当は嫌なんだけど隠してる感情とかむき出しになったせいでしょう。
何かしらコンプレックスにがんじがらめになってる人はぜひ観るといいです。
「私は私」でいいんだって、自分と向き合うきっかけにはなるかもしれません。
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