どういう訳か今年に入ってからというもの、こうして「なぜ?」と気付くほどに”トイレに行くと芯だけになっている”確率がやけに高い。
そして、そそくさと新しい物と交換する。
家でだけではない。
仕事場でも、はたまた外出先でも。
どういう訳か、トイレットペーパーを取ろうとすると「ない」のではなく、「芯」なのである。
「芯」になっているという事は、それ以前に入っている人間は気付いているはずだ。
「あ、なくなった。」
ってね。
どうしてそこで換えないんじゃああああ!
おかしくないか。
気付いているのに、なぜ換えない?
「しめしめ、この後使う人驚くぞー!いっひっひ。」
とかちょっとしたドッキリ的感覚?
「大変だー!遅刻しちゃうー!」
とかなら何となく分かる。
「いやーん。爪が割れちゃうううー」
とかだとむかつく。
「換え方がわかんないーー><」
とかだとグーで殴りたい。
「お笑い芸人と女優が結婚へ!?」
と、トイレから飛び出したか?
いやいやいやいや。
そんなこたああ知らねえぜ!!
頼むから換えてくれーー;;
毎度毎度、能面のように無表情で用を足した後にトイレットペーパーを換える私の身にもなってもらいたいものです。
これぞまさに他人の尻拭いでございます。
・・・。
まったくうまい事言えてなく、むしろ下品な気がする事にお詫び申し上げます。
ともかく、どうしてこう換えない人の後に私はトイレに入る運命なのだろうか。
このトイレットペーパーの芯だけになっていて、やむなく換えるしか術のない人はこの世の中にどれくらいの割合でいるのだろうか。
世論調査の項目にひとつ加えて頂きたいです。
そして、これを運が悪いと取るのかどう捉えるのかが問題だ。
そこで私はこう考えるのだ。
選ばれし者
そうです。
選ばれた者だからこそありつけるシチュエーションなのだ。
『お前ならやってくれる』
そう、何か見えない大きなものに後押しされてわざわざ芯だけになったトイレのドアを開けているに違いないのです。
用無しの芯から、純白で太巻きのトイレットペーパーに換える幸運。
そう。
あえて”幸運”と呼ぼうじゃないか。
”幸運”の運をあのうんとひっかけたとかそういうのじゃないよ。
次の人の事を考えながら、まるでそこはそよ風の吹くぽかぽかとしたお花畑にいるようなうららかな気分で新しいトイレットペーパーと交換するこの喜び。
そう。
喜びに値する行為なのである。
トイレを出るときに、星がキラキラと光るかのように輝いている私がそこにいるのです。
通りすがりの人に「見て!トイレットペーパー換えた人よ!素敵ね〜。」と言われるのです。
あははははーあははははーって波打ち際をクルクルと爽やかに走るのです。
小鳥や小リスが集まってくるのです。
心の中で、「次ここに座る人の便秘が治りますように」と祈りながら交換するのです。
ここまで祈れるほどに心豊かになれる瞬間が、トイレットペーパー交換なのである。
と、思い込もう。
もう私ひるまない。
どうぞ、芯のままに出るがいい!
私がじゃんじゃん換えていってやる!!
うおおおおお!!
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