ぬるま湯で長湯

引っ越したわ started from 2005/1/22.

[]保育士勉強メモ 児童の最善の利益

ブログ更新しようとすると投稿画面の上に、ライブドア新社長のネットラジオ

「ひらまっちゃんラジオ」の陽気なバナーが出て気持ちが萎えてしまいます。



ホリエモンと同じようにしなくちゃならないのかな。

どういう人が聴くのだろう。

まあいっか。



試験勉強も山場を越えて、来週の今頃は結果も出てうんたらかんたら思うと衝動的に叫んでそこらじゅうを走りたくなります。



理性ってステキ☆



どんな問題が出るのだろう。

問題集もそろそろ終わるので、弱点攻めに取り掛からないと。

どの科目もたった10問しか出ないから、6問以上は正解しないと。って考えると、間違えられるのは3〜4問。



微妙に配点とか変えられてたら6問でもギリギリアウトの可能性がなきにしもあらず。



ああー恐ろしい国家試験。



確実に取れる問題は確実にしておかないと、もったいないぞ!



そういう点では、法律だったり年号だったり歴史だったり人物だったり病気の名前や特徴だったりはしっかり押さえとかないとね。

法律は、児童福祉関係の条文を覚えよう。



間違いがちなのが、児童憲章、児童権利宣言、児童の権利に関する条約

よく古い順に並べなさいとか出るのです。

今年はそんな問題でないとふんではいるのですが、もしかして・・・。の為にチェック!



まず、ずーーいぶんと前。



大正13年(1924年)

私の両親もまだ生まれていないはるか昔。

第一次大戦が終わって5年後。

国際連盟「児童権利に関するジュネーブ宣言」を発表。



これは、

「各国の男女は、人類は児童に対して最大の努力を尽くさねばならぬ義務のあることを認め、人種、国籍、信条の如何を一切問わず、つぎのことを。その責任なりと宣言し承認する。」

といいました。

「つぎのこと」っていうのは、児童の生存の権利や健康の重視を強く強調した内容になっています。

第一次世界大戦が終わって、戦災をうけたり亡くなったりした子供たちの状況をみて、この宣言をしたのです。



そして、その後第二次世界大戦に日本は進み終戦。

ご存知の通り犠牲になった子供も沢山。

それを踏まえて終戦後、日本は日本国憲法に基づいて

昭和22年(1947年)児童福祉法を制定します。

「1条 すべての国民は、児童が心身ともに健やかに生まれ、且つ、育成されるよう努めなければならない。

2条 すべて児童は、ひとしくその生活を保障され、愛護されなければならない。」




こんな基本的な部分は出ないだろうけど、これは義務なんですわ。

学生の時、授業とかで習ったりしたのかなあ。覚えてないけど^-^;



この児童福祉法の言う、「国や地方公共団体や保護者が子供たちを心身ともに健やかに育てましょう」っていう理念を具体化するためにわざわざ子供の日に発表されたのが



昭和26年(1951年)「児童憲章」



法的拘束力はないのですが、



児童は、人として尊ばれる

児童は、社会の一員として重んぜられる

児童は、よい環境のなかで育てられる




と、子供の幸せを願うゆえに、国民の間での約束事として子供への見方をこのようにはっきりと提示したのですね。



そして、児童をさらに保護される存在としてある為に、先に言ったジュネーブ宣言を元にして、



昭和34年(1959年)うちのお母さんが12才くらいでお父さんが16才くらいの時に

国際連合「児童権利宣言」を採択。



「第2条 児童は、特別の保護を受け、また、健全、かつ正常な方法及び自由と尊厳の状態の下で身体的、知能的、道徳的、精神的及び社会的に成長することができるための機会及び便益を、法律その他の手段によって与えられなければならない。

この目的の為に法律を制定するに当たっては、児童の最善の利益について最高の考慮が払わなければならない。」




下線のとこ要チェックですよ。

児童の最善の利益を、前に出たジュネーブ宣言では「最善の努力」って微妙に違ってたりする部分がやれそれ!ってひっかけて来たりするからね。

1948年に発表された世界人権宣言を具体化したのがこの宣言ですが、子供が特別な存在で、最善の利益について最高の考慮をしないとだめ!ってはっきり言ってます。

また、家庭でもって愛情を持って子供を育てようという6条がよく試験に出るのでチェックチェック。

「幼児は例外的な場合を除き、その母から引き離されてはならない。」

とあります。



さてそして、その児童権利宣言から20年。



お母さんは32才。お父さんは36才。私は7才という、

昭和54年(1979年)に国連は児童権利宣言から20年を記念してこの年を「国際児童年」と定めたのね。



知らなかったわー。

知らないよねぇ。

こういう事に従事してないと知りえないと思う。



んで、児童権利宣言を条約化しようって話がそのあたりから浮かび上がってて、あーでもないこーでもないって10年ばかし討議して、私がまだうる若き高校生の時分。



平成元年(1989年11月)児童の権利に関する条約が採択されます。



今までの児童に関する宣言やもろもろよりも細かく、子供の最善の利益を考慮され、子供の基本的人権(意見を言う権利があるんだ!みたいな)を国際的に定めたってわけですわ。



だけど、日本ではこれに同意するまでに6年もかかっとるでよ。



結局、



平成6年(1994年)私がすっかり社会に出て児童の定義18才をゆうに超えてしまっている平成6年に、日本はこの条約に署名したのでした。



てか、知ってました?



私保育士資格の勉強するまで知らなかったわ。

こんなに守られてるはずなのに、子供に対する切ない事件が絶えないんだねえ。

いろいろ調べていると国際児童年が宣言された年に、この国際児童年に関する世論調査を国がしています。

それみたら興味深くて、もう随分前の世論調査ではありますが、児童憲章が世に出て30年近くたっているのに、その存在を知っている人は半数切ってて、読んだことない人は8割近くいた。

もし、今同じような世論調査しても同じような結果になるのだろうなあ。



何となく意識としては、日本の憲法で守られてる部分はあるのだけれど、もっと日本がこんな国際条約に署名してるんだよってのは知らなかった。



未来を担う子どもは大事にしないといけないもんね。

もっと世の人にちゃんと知らしめるべきだと思うけど。

私だけ知らなかったのかな(照)

ともかく知る事ができてよかったよかった^−^



うわ!長くなった。

失礼!







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