ぬるま湯で長湯

引っ越したわ started from 2005/1/22.

[]保育士試験の為のメモ?

保育士資格取得を目指しての、お勉強メモです。





保育原理



現在は、当たり前にある幼稚園・保育所ですが、昔の偉い人が頑張らなければ当たり前になかったのですねえ。



そこで、歴史を紐解きますといろんな人物が登場します。



一番古くて、正式な幼稚園は、



明治9(1876)年に創設された東京女子師範学校付属幼稚園(現在のお茶ノ水女子大学)なんですね。



そこでその前年に英語教師として赴任していた「関信三さん」が初代監事になったんですなあ。

偉いなあ。一番最初ですからね。いろいろあったのですよ。

お金持ちしか学校に通わせないもんだから「振袖保育」と皮肉られたりしたんですねえ。

ご心労あったでしょうに。



その後託児所ができるのですが、



明治23(1890)年新潟県に赤沢鍾美(アツトミ)、仲子夫妻が経営してた静修学校内に付設。



この赤沢さん凄くいい人で、貧しくて学校に行けない子供に勉強を教えてたのです。

が、やはり、貧しいとなると小さい妹弟を背負って来る訳ですよ。

そんな子供たちが集中して勉強できるように、仲子さんが預かって世話をした。

それが、始まりなんですね。

泣けてきますよ(´;ェ;`)ウゥ・・・



これが共働きの家庭の人々に喜ばれて、

明治41年には保育事業として「守弧扶独幼稚児保護会」という名のもと、

一般に公開されて、名実ともに日本における託児施設となったそうな。



この年と同じくして別の県、鳥取県に住む筧雄平さんという方が同様な託児所を開設。

これは、農家の方が一番忙しい時期に放置される子供を心配した筧さんが、

子供の安全を考えて自宅を開放して子供を預かったのが「農繁期託児所」。

村の尼僧さんの協力のもと開かれたのですねえ。

これは、その後各地で真似されたそうです。

ほんとに、いい人ですよ。

頭が上がりません。



その後、がっつり「保育をする施設」が登場します。

それを立ち上げたのが、



野口幽香さん。



保母さんとして華族女学校付属幼稚園に勤めていたのですが、貧しくて、保育を受けられない子供を見て



「保育を受けられない幼児を何とかしなければ!」(想像)



と、当時同僚だった森島峰さんと一緒に開設したのが



明治33(1900)年「二葉幼稚園」(大正4年に「二葉保育園」と改称)



しかも、保育料を取らなかったそうですよ。

ほんとにいい人だ。



だけど、この保育料無料がいけなかったのかどうか分からないですが、全国で15ヶ所にとどまったそうです。



でも!!

それでも!!



この人たちがいるから、今の形があるわけで。



やっぱり偉いなあ・・・。



と、羨望のまなざしであります。